"GENBA-NIN"による広告の編集とデザイン

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GENBA-NIN紹介

アドクロ工務店&リフォーム
チーフディレクター

鶴田 二郎(つるたじろう)

1972年生まれ
神奈川県藤沢市出身

高校卒業後、プロアーティストを目指してバンド活動に没頭。ギターを担当し、月に2〜3回のライブ活動を行う。その活動資金を得るために数々のアルバイトを経験。パスタ店、警備員、ビアレストラン、土木作業員、洋食器店、クリーニング店、仕出し屋、その数はおよそ20種類超。その後、様々な葛藤と衝突があり、27歳でバンドの夢を断念。就職活動を開始する。初の就職先は物流会社。OA機器搬入や人工透析液の配達などで、4tウイング車やリフト付きトラックの運転手を担当。仕事は順調だったが、どうにもおさまらない漠然とした物足りなさから転職を決意。折り込みチラシにあった地元タウン誌の募集広告に心惹かれて応募する。

入社後は当時最もやりたくなかった広告営業に配属。さらに中でも避けたかったテレアポと飛び込みを行う毎日。だが、数少ないアポから少しずつだが受注がとれるように。1年後にはなんと売上達成率No.1を獲得する。そこで調子に乗って、広告とは関係のない記事ネタ集めに走りだす。レスキュー隊の一日体験、地元海岸の戦跡取材、旅番組よろしくお楽しみスポット紹介、会社の車を使っての産直野菜マップづくり、などなど。勝手きわまる行いが頻発。そんな時期、酒を呑んでの大失態。社長に大目玉をくらう。ただ、取材や撮影の楽しさを覚えたのはこの頃だった。

もっといろいろな広告をつくりたい。今度は営業兼じゃなくてつくるほうだけやりたい。やっぱり東京でやってみたい。などと30歳目前にして大学生のような発想で退職。しかし時はバブル崩壊直後。20社あまり受けて全滅。家でふてくされながら求人サイトチェックと読書三昧の日々を送る。3ヵ月後にようやくある会社に拾われるが、条件はまたもや営業兼制作。贅沢はいっていられないと入社するが、ここが今でいうブラック企業。昼は営業、夜から朝方までが制作。一ヶ月間で家に帰れるのは3日程度。風呂は銭湯。寝るときは自前の寝袋。顧客の入金遅れ分は給料天引き。そして恐怖の給料遅延。さすがに心身ともに疲れ果て、1年あまりで退職する。無職2ヵ月を経て、拾われた会社で、念願の、悲願の「制作ディレクター」の椅子を獲得! 出社初日、暇さえあれば名刺を取り出しては肩書きを見てニヤニヤする。そこでの仕事は今に通じる情報誌の編集作業。取材・撮影、レイアウト、ディレクションを本格的に行える、やりがいのある仕事。この時すでに31歳。遅ればせながら、GENBA-NINとしてデビューを果たしたのであった。

「あれから12年、多少の紆余曲折はありましたが、数々のお客様と出会い、数々のパートナー様に助けていただき、ここまでこられました。ほんとうにありがたいことです。なかでも、これまでついてきてくれた弊社スタッフには、一番感謝しています。この場を借りて言わせていただきます。ありがとう! まだまだ本当に人の役に立つ人間になれていないわたくしですが、今、自分がやるべきことはわかっているつもりです。一つひとつ進んでまいる所存ですので、みなさま、これからもよろしくお願いします!」